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2009年04月 アーカイブ

2009年04月02日

リュウガン

リュウガン(竜眼、龍眼)はムクロジ科ムクロジ属の常緑小高木またはその果実。中国語では簡体字:龙眼、繁体字:龍眼(ロンイェン、拼音: lóngyǎn 、注音: ㄌㄨㄥˊ ㄧㄢˇ)、タイ語ではลำไย(ラムヤイ)。
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植物学上の特徴と分布
リュウガンは東南アジアから中国南部原産の常緑樹である。主な生産地は福建省など中国南部、台湾の南投県と嘉義県、タイ、インドネシア、ベトナム、日本では沖縄の八重山列島などの一部地域。

樹木は5m~10mほどに生長する。台湾や沖縄での収穫期は7~8月。

2cmほどの丸く茶褐色の果実をブドウの房のように一度に多く実らせる。果肉(仮種皮)はブドウに似た白く果汁の多いゼリー状で、中央に中に大きな種子がある。この種を竜の目に例えて竜眼の名が付けられた。果実は同じムクロジ科のライチに似ているが、ライチと比べリュウガンの実は小さく種が大きいため可食部は少ない。独特な香りと味があり好みが分かれる。多量に摂取すると鼻血が出るという俗説がある。

果実は生食だけでなく、乾燥したものも広く利用される。中華料理では乾燥させたものを佛跳牆などのスープなどに使用する。漢方ではこの果肉を乾燥したものを利用する。ジュース、缶詰、アイスクリームの材料としても利用される。

生薬 [編集]
漢方薬として果肉を乾燥させたものを竜眼肉(りゅうがんにく)、桂円肉(けいえんにく)と呼ぶ。心と体を補い補血、滋養強壮の効果が有るとされる。疲労、不眠、貧血、病後、産後の肥立ち、また胃腸に効くとされる。

その他 [編集]
リュウガンは台湾や、中国の比較的暖かい上海などの地域で街路樹として植えられている。そのような場所では道路に四散した果実が異臭を放つ様子もみられ、日本人にはイチョウを彷彿とさせる光景である。

2009年04月17日

ウルゲンチ

ウルゲンチ(ウズベク語:Urganch)は、中央アジア、ホラズム地方の歴史的都市。現在のウルゲンチはウズベキスタンのホラズム州の州都(人口13.9万人 1999年)である。

ウルゲンチはテュルク諸語の名称で、ペルシア語ではグルガーンジュ(Gurgānj)という。かつてアラビア語の地理書にはジュルジャーニーヤ(Jurjānīya)という名前で記録されていた。

歴史 [編集]
ウルゲンチが歴史にあらわれたのは比較的遅く、動静がはっきりするのはホラズムのイスラム化以降である。もともとはペルシア系の住民が多く住んでいたが、アラル海周辺の草原地帯を通じて現在のカザフ草原に住むテュルク系遊牧民たちの交易拠点となり、「草原の港」として経済的に発展した。10世紀には、ウルゲンチを拠点とする土着のペルシア人君侯が右岸のカースにいるホラズム・シャー(ホラズム王)から独立し、さらにカースを併合して自らホラズム・シャーを自称したので、その本拠地であるウルゲンチは全ホラズムの中心都市となった。

11世紀にテュルク系王朝のガズナ朝、セルジューク朝があいついで中央アジアを席捲するとホラズムもその支配を受け、ウルゲンチにはマムルーク(奴隷軍人)出身の将軍が総督として派遣されてくるようになった。12世紀に入るとセルジューク朝のホラズム総督がホラズム・シャーを自称して独立し、ウルゲンチはホラズム・シャー朝の首都となった。ホラズム・シャー朝のもとでカンクリなどテュルク系遊牧民の流入、定住化が増加し、ウルゲンチの住民のほとんどはテュルク系の言葉を話すようになっていった。

12世紀末から13世紀初頭にかけ、ホラズム・シャー朝が中央アジアからイランに広がるセルジューク朝の旧領を支配する大帝国に発展すると、ウルゲンチはその都として繁栄をきわめ、当時のイスラム世界において最も壮大で豊かな都市であると言われるほどになった。この時代には市街地はアム川を越え、川をまたいで両岸に広がっていたといわれる。しかし、ホラズム・シャーのアラーウッディーン・ムハンマドと、その外戚のテュルク系遊牧民カンクリの間での対立が深まり、アラーウッディーンはカンクリの影響が強いウルゲンチを離れてサマルカンドに移った。

1220年、中央アジアを席捲したモンゴル帝国のチンギス・ハーンは、長男ジョチと次男チャガタイの率いる軍をホラズムに送り込み、ウルゲンチを包囲した。ウルゲンチはカンクリの軍人たちが中心になって頑強に抵抗し、ジョチとチャガタイの兄弟仲が不和であったことにも助けられて長期の篭城を続けたが、1221年に攻略され、都市は徹底的に破壊された。

1231年、モンゴル帝国のもとで破壊された旧市の南にウルゲンチは再建され、復興した。ホラズムはジョチ・ウルスの支配下に組み込まれ、14世紀にはウルゲンチは再びホラズムの中心都市として繁栄し、中央アジア屈指の大都市として栄えた。

しかし、その後アム川の河道が北に遷移をはじめたため、河道から離れたウルゲンチは衰退し始めた。16世紀以来ホラズムを支配したヒヴァ・ハン国は17世紀にウルゲンチから北のヒヴァに遷都し、さらに繁栄を支えた水利をまったく失ったウルゲンチは都市としても放棄され、ヒヴァの近郊に新ウルゲンチが再建された。

旧ウルゲンチは廃墟となり、砂漠の中に取り残された。ホラズム地方の分割の結果、旧ウルゲンチの遺跡は現在トルクメニスタン領に組み込まれている。一方、新ウルゲンチは旧ウルゲンチの商業活動を引き継いでヒヴァ・ハン国の重要都市として続き、のちにウズベキスタンのヒヴァ州の州都とされた。

旧ウルゲンチ [編集]
旧ウルゲンチは、現地ではクフナ・ウルゲンチと呼ばれ、ホラズム・シャー朝期からティムール朝期の遺跡が残されている。

テキシュ廟
12世紀のホラズム・シャー、テキシュの墓廟。ホラズム・シャー朝期の代表的な遺跡で、青いタイルで飾られた三角錐の帽子型の屋根が特徴的である。
クトルグ・ティムールのミナレット
14世紀にジョチ・ウルスのホラズム総督クトルグ・ティムールによって建設されたミナレット。テキシュ廟の北西そばに位置し、中央アジア最長の67mの高さを誇る。
テュラベク・ハヌム廟
クトルグ・ティムールの夫人テュラベク・ハヌムの墓廟。旧ウルゲンチで最大の建造物。
このほか、キャラバンサライやスーフィズムの聖者の墓廟が数多くあり、トルクメニスタンの主要な観光地である。

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